われわれ日本人は“愛”と“恋”という言葉をそれぞれ別の意味で使いますし、当然のことのように思っていますが、海外では両者の区別がはっきりしていないのです。
“Love”は、ふつう「愛」と訳すことが多いですが、“first love”と言えば「初愛」ではなく「初恋」となり、“fall in love”と言えば「恋に落ちる」とか「恋する」になります。
誰が最初に言ったかは定かではありませんが、“愛”という字は「心」が中心にあるが、“恋”という字は「心」が下にある。つまり、“恋”は「下心」があると。なかなか的を射た表現だと思います。
人を好きになったとき、それが“愛”なのか“恋”なのかを冷静に見つめることも大切なのではないでしょうか。
見返りを求めたり、打算があったりするならば、決して“愛”とはいえないでしょう。“愛”には永遠性がありますが、“恋”には永遠性がありません。「下心」ですから、状況によってころころ変わってしまいます。
よく“復活愛”という言葉を耳にします。「復活」という言葉は「死」が前提になります。
死んだ状態から蘇生するので「復活」なのですが、先ほど述べましたように、愛は永遠ですから、心変わりしたり、冷めたり、死ぬことはありません。
相思相愛の関係であったにも関わらず、第三者によって愛を奪われてしまった。だからもう一度、その人から愛を取り戻したい、という人がいます。
そういう場合、わたしははっきり言います。「愛を奪われてしまったのではありません。二人にはもともと愛が無かったのです。本当の愛があれば二人の関係が絶対に壊れることはありません。二人は恋し合っていたのであって、愛し合っていたのではありません。恋は第三者に泥棒されることもありますが、愛は決して奪えません」と。
愛と思っていたのは錯覚で実は“恋”だったのです。だから、別れた人と「よりを戻したい」という場合は“復活恋”を願うということになるのです。
もちろん、あれこれ手を使えば、恋は復活することもあります。しかし、お互いが過去を反省し、“恋”から真実の“愛”へと昇華させていく努力をしない限り、また同じ轍を踏むことになるでしょう。つまり、「分かってほしい」から「分かってあげたい」、「尽くしてほしい」から「尽くしてあげたい」というように、受ける側から与える側に切り替えていかないと、長続きする関係は望めません。
「授受」という言葉があります。この熟語の通り、「授ける」ことが先で、その後「受ける」のです。英語で言う“Give and take”ではありません。“Give and receive”なのです。
もっと言えば、願わなくても与えられる世界なのです。与えて、尽くして、完全に投入し、「無我」になったところに、宇宙力が作用して、天が恵みを与えてくださるのです。
「情けは人の為ならず」という素晴らしい言葉があります。情けは人に掛ければ、必ず自分に返ってくるようになっているということです。
これが愛の法則です。「彼は私のことをどう想っているのでしょうか?」と相談される人がいらっしゃいます。
そういう場合、私は「彼の心を探ってどうするつもりですか?彼がどう想っているかではなく、あなたがどれだけ純粋に彼のことを想っているかですよ」とお答えすることがあります。
「彼に好かれたいと思うなら、まず自分の内面を素直に見つめ、霊性を高めるように努力してください」と。
『牽引の法則』というものがありますが、自身がしっかりした分、天運が作用し、霊界が協助し、思い通りに導かれるものです。恋愛を成功させたいと願うなら、日ごろから自己をよく見つめ、素直で、純粋で、謙虚で、素敵な自分を創る努力をしましょう。自分を好きになれない人に、素敵な恋はできないものです。