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続々・愛の人になるに必要な知識
続々・愛の人のなるに必要な知識
第三編になりますが、今回は愛の人になる生き方の新しい提案です。
第一・二編では欲心を抑えて過分な自我意識を持たないとの観点から述べましたが、これは今までの仏教などで説かれてきた(私自身はこの考え方を否定はしませんが仏教徒ではありません)今までの考え方の内容でした。
ですが、これはある面、人が求めても達成すればその時点で喜びが消えて、
次ぎの欲の目的を追求し続ける、「諸行無常」の人間を前提に説かれたものと言えます。欲心を抑制すると言う観点でしょうか。
ですが問題は、ここで言う「欲心」の持つ特長を愛の観点から表現すると、「貰う愛、得たい愛、得たい、欲しい」という欲望的な愛を表しています。
この欲心からくる目的は、たしかにそれを達成すると、その時点で喜びが終わり、次ぎの目的に向って限りない欲望を追い続け、それを繰り返し続けることになります。
ですが、この欲心が表しているのは、「貰う」、「得たい」、「奪う」といった「もらう愛」の類の心であり、この愛は確かに渇愛であり、際限と終わりがありません。喜びがその度に得ては消滅を繰り返すものでしかありません。それでは何時までたっても喜びを永遠に感じ続けることの幸福は得られないでしょう。
根本的に、この貰いたい、得たいという欲ではそういう結論になるということはすでに仏法でも解かれています。
これでは何時までも永遠の喜びある心をもつことは不可能といういうことになります。
ですがこの永遠の喜びを持つことのできる愛があるというのです。
それが何か言うと、「与える愛、為に生きる愛」です。同じ欲望から出発しますが、これは得たい(自分方向へ→)というのと丸反対の(相手方向へ→)方向の愛です。相手に与えても更に与えてあげたいという欲心的愛です。
人の喜びは愛の相対に立つ対象に対して、この与え、為に生きる愛を投入し続けていって、その結果、与えた度合いに応じて愛情が移り、可愛さが募り、その相手に与える事ばかりで損したようですが、実際はどうかと言うと、与えた愛の結果は、その相手が幸せと感謝を笑顔などで返してくれるときになると大きな喜びとなって自身も幸福を感じるのです。
家庭の父母がそうではないでしょうか。父母はわが子に与え続けていくことが苦痛でもなく、逆に成長すれば幸福を感じるようになるでしょう。子供の為に与えて損するようですが、父母に於いてはそれが幸福なのです。
花も心から育てたら、そういう与えた条件の人と、何の条件もなく花をただ眺める人では、明らかに喜びの刺激が違ってきます。当然、愛情かけた人のほうがはるかに美しく咲いた花のその姿により感動の喜びを強く感じ取れるのです。
ここに一輪のバラの花があるとして、その花を見物と観賞で十人の人が来たと想定した時に、その十人の中で最も花に感動し喜びを感じ取れる人はどの人物と成るでしょうか。答えは明かに花に一番愛情を持った人であり、愛情深い人が感じ取れると思います。幸福はそのように愛を所有した質量に応じて得られるものなのです。
ですから、愛というものは投入し与えて、情をかけた分に比例して、感じることのできるものなのです。そしてその愛の対象から常にその喜びと刺激を感じ続けられるのが為に生きる愛といえます。
すでにこの愛に生きることは新人類の新しい生き方であり、根本的にこの生き方を中心として生きれば、そこにはすでに喜びを得ても消え続ける欲心の愛とは根本的に違う愛であり、この為に生きる、あるいは与える愛ならば為に生き、与えた分に応じて終わりなきどころか、逆に増し続けていく喜びを感じることができる種類の愛なのです。
この生き方には得たいという欲心がなく、そこにはまた我がない立場にいるのです。我をなくす方法として与えてゆく生き方ならすでに、我欲はないということです。
幸せは森羅万象に投入して万物を愛し得られたその自分自身の愛の大きさで常に際限なく何度でも(愛した相手にからくる刺激により)喜びを感じ取れるのです。
人の永遠なる幸福はこの愛の深さと質の良さによって左右されます。人生はこれを追及してこそ幸福と言えるのではなかろうかと考えます。ですから皆様もこの「為に生きる」という宇宙の根本法則にあわせて永遠の幸福を得る人生を歩まれる事をお勧めいたします。
サンクチュアリ鑑定士 承世