愛と我という対立するテーマについて6

人は我を立てたときは既に、「為に生きようという道を外れた位置」に立ったことになります。これがわがままや好き勝手という事であり、自由人のように思えますが、じつは不自由な人といえます。こうなると糸の切れた凧と同じで自己の欲望のままに生きる道を歩き始めます。この行動の中心に自己の奪う愛、他に愛を要求するもらう愛を動機として生きる人の結果はというと、相手が答えてくれるときはエゴ的ではありますが、そのなりのエゴ的基準での喜びはありますが、問題は愛されずに答えてくれなかった時が大変です。

愛されたいという期待と希望に反することで、愛の不足が起きると愛の減少感を感じ取り、不平と不満が出てきて、ぼやいたり悪口を叩いたりします。つまり平安な心を失う事になり、ヒステリックになったり、平常心を失ったり、血気で怒りを覚えたりするようになるでしょう。人としての正常な位置、正しい善と真理の立場を逸脱するようになります。

心が不安定な人は持続力を失い、心も散漫になって、何をやっても長続きしないようになります。飽きっぽくなるのです。更に自分の思うがままの人の欲望がエスカレートすると、不義なる感情や肉欲の欲望を抑えきれなくなり、果ては不義なる姦淫の思いや浮気心で不義なる行為まで行い自己を見失う人まで出てきます。淫らな行為を隠れて行うようになるのです。ですがこの自己を失う根幹は「血気」です。我に生きる人とこの血気は兄弟関係であり、切っても切れない繫がりで結ばれています。

このように為に生きる立場を離れた人の行き着く先は、善なる位置から外れた自己の分限を外れた「血気」に行き着くでしょう。つまり愛されなかったという恨みと怒りの心になり、不満が抑えきれないとこの血気で怒りを爆発させて恐ろしい事件を引き起こすようになるのです。

これらの血気にならない方法も、結論は為に生きる立場を守り、相手の為に自分が存在しそのために生きようとすることです。受けようとか愛を返してもらう事を要求するのが本当の愛でなく、常に与えようとするのが真理から見た本物の愛なのです。愛は与えていく分に応じて自分に蓄えられていくものです。与えながら蓄えられるので満足するのです。減らないのです。ですが間違ったエゴのもらい、奪い、要求する愛は、与えないので相手に対する情が深まらず、枯れてなくなります。秋風が吹くようになります。皆様も与えて生きることで情の深い人となってください。                                サンクチュアリ鑑定士  承世

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