愛と我という対立するテーマについて5

エゴイズムの愛は奪う愛・要求の愛である

比較が嫉妬心や妬みを起こすと前に書きましたが、これは他が愛されるその愛を自分が奪い取り。受けたいという思いの裏返しです。自分が慕われ愛されたい愛なのです。いわば要求し他に求める愛です。この愛を人は為に生きる努力をして、他から認められてこそ正当に受けられるものですが、自己中心的エゴイズムは努力なしに愛されようとします。要求は相手がかなえて答えてくれたら満たされますが、そうならないと不平不満の欲求となり更に過分に愛を求め追求していくようになります。そうなるとむさぼる渇愛となり満たされない不幸な状態へと陥ります。そうしてその心はやがて、不安と落ち着きをなくす状態と変化して、その不満がたまると、とうとう血気を出して怒りや、悪態をついたり、暴力的になったりします。ただし気の弱い人は弱気がさらに強まったり、ひどい人の中にはうつ病にまでなったりします。

ヒステリック、飽きっぽい、長続きできない、短気、怒りっぽい、暴力沙汰など、これらは通常の安定した精神状態から足をふみ越えて、正常心を失った立場に立った位置を表し、宇宙の「為に生きる」という愛の法を犯したことになるのです。つまり罪に値します。

この状態が、我を立てるを一段階とすれば、血気に代表される二段階目の変化として起こる自己中心の歪曲した状態です。この不安と悩みの煩悩から脱出する方法は、基本は我の愛から出発したものですから、エゴイズム的な愛である、貪る愛、求め要求する愛、愛して貰いたいという、この愛を否定し捨てて為に生きる愛、すなわち与える愛に転換して生きることです。

喜びは愛の度合いによる

人は自身の心の中に愛が深まるとその愛で酔うようになります。喜びを感じれるのです。ここに説明を加えますと、例えばある一輪のコスモスの花を、一斉に10人の人が見たとして、そこで誰が一番喜びを感じることが出来るでしょうか?

答えはというと、一番花を愛する事のできる人が「情が行く分」喜びを多く感じると見ます。そうではないでしょうか。つまり愛と対象に対して情が行く内容を豊かに持つ人がより多く喜びを感じるというのです。喜びは人々の心の情深さで差が出るのです。愛が喜びと感謝を決定しているのです。この事から幸福な人生とは愛を磨くことを中心にして生きることと結論付けられます。

愛の心が深まれば深まるほど情が湧き出て対象からは、より多くの刺激を受けて喜びが湧き上がって来るのです。ですからここから気づくのが為に生きる人生の大切さです。皆さん心の情を投入して、愛を与える生き方をして行きませんか。そいう人生観と生き方ができればあなたの幸福は自ずと近づいてくることでしょう。  サンクチュアリ鑑定士  承世

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