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愛と我という対立するテーマについて4
愛と我について4
「我」が人の心に表面的に出てくる推移を順次考えると、まず自分を立てて、相手の立場や為に生きる考えを無視し、自己本位な位置に立つようになり、自分を必ず主体とすることから始まります。このときがエゴイズムの位置に立ったときです。そうして、その位置から物事を比較し始めると、相手の立場からの考え方と自己の考え方を比較し、結論的には、必ず相手を無視して、自分が正しいとか自分の考えを優先します。ということは相手の考えを不信し無視した結果としてそういう結論を出します。それが独断・偏見という言葉になり、独善とか、自分勝手とか、思い込みとか、えこひいきとか、エゴイズムという言葉として表面化します。その後がどうなるかが今回のテーマ4ですが、それはやがて比較した結果として自分と相対する人が能力的面でのことなら、自分が何か能力面で優れているとなると、優越感のエゴとして現れ、自分が劣るとなると嫉妬心として現れてきます。ですから「優越感」「嫉妬心」も同じエゴイズムの自己中心として現れた心であり、そうなると「優越感」なら自分を相手より上に置くという「高慢」的立場に立ち、人を見下すようになります。逆に「嫉妬心」なら落ち込みと羨望の心で嫉妬して妬む心まで行きます。ひどい場合はそこで相手の失墜を願い喜ぶ人まで出てきます。ですから人はこの妬み嫉妬でなく愛の心で人生を歩むにはどう生きればよいのでしょうか。答えはもちろん愛ですが、こういう妬み嫉妬が出る場面でどのように捉えたら愛の行為となるのでしょうか。愛は妬む事をしません。嫉妬も勿論しないのです。自己を優先した結果で妬み嫉妬心が出たのですから、自分を出さず、比較しない事を前提として相手のみ、その人をただ尊敬する事なのです。自分の能力とかと比較しない事です。それぞれの人がもつ能力は天が与えたものであり、他の人が持つ能力は実は他の人々と人類の為に天が与えたものでありそのように用いなければなりません。それは私の立場から見たら、自分や他の人々の為に能力を活かし、与える為に持たせられたものなのです。そのことが分かれば相手の能力も人類や自分ためにあると分かるはずです。逆に自分が何か社会に役立つ能力があっても、それが他の人や人類の為に与えられたものであり、自分の私物でないと悟らなければなりません。愛の法則を適用すれば、自分のものは他の為に与えられたものだからです。花とミツバチのところを思い起こしてください。愛は相対の為にいるという公理を基本とするのです。
人を尊敬する事、人を自分より上に置くことで、高慢な人間とならず、また、相手が私の為にあり相手のもつ優れた能力が人類と私のためにその人が持っていることが分かるなら嫉妬など起こしません。それを嫉妬のない心でそのままを認め褒めてみんなで喜ばなければなりません。全て公的なものを人は備えているのです。それを人類と宇宙の平和と安定の永遠の為に活かさないといけないのです。皆さま、自分以外の相手の人の喜びを一緒に祝福できる人となりましょう。その人を祝福するという行為は、自分の祝福でもあり、そういう捉え方ができてこそ更に、愛の人格を磨ける人となれるのです。美しい心の持ち主となれるのです。嫉妬、優越感や高慢の次ぎは何がくるかは次回コラムにて。
サンクチュアリ鑑定士 承世