愛の人になるために必要な知識
第一章 人の心の内面
人の心の動き
体はすべて心の命令で行動しています。心が思う事でそのごとく行動します。
話す事、食べること、歩く事また何処へ行くか、など。
すべてがその心の描く通りにあわせて行動します。
ですからこの心がなければ生命すら維持することが出来なくなります。
つまり人は心で生きていることを知るべきです。
体は心を原因とした結果的物質にすぎず
「生きること」とは、「心が活動している」と置き換えて言うことが出来ます。
「手で箸を握ろう」、「話をしないと」、「体が疲れたので横になりたい」「起床時間が来たから起きよう」などと、行動の原因となる心の意志があって行動し生命を維持する事もできているのです。
ですが逆に、その心が、「私が、私が」という事にもなっています。
人から「心が抜けてしまった」となると、体はただの物質に過ぎなくなります。
体はただの肉の塊となるのです。ですから人は死んで魂がなくなると、死体を焼いて火葬します。平気で燃やせるのです。
心の動きに合わせない人はいません
心に逆らえる人は誰もいません。心が描くとおりに活動するのが人間なのです。
「険しい山に登ろう」と思ったが故に、苦労してきつい山道を登るようになる事もあります。
人は心に命じられたらどんなこともやろうとします。
人は心の奴隷である
私たちはこの世に生きている間は心を主体として、体はそれに対象として行動しています。お釈迦様はこのことに対して、「Cittena(心によって) niyati(導かれる) loko(衆生)」と語られました。これは人が心にコントロールされて、主管を受け、それにより人生を導かれると言うのです。つまり人の生命や運命を心が握り、体はそれを拒めないという事です。人類は心の奴隷なのです。
心は絶対に守護すべき主人であり王様である
ある国の大統領などが他国に行くと、必ずボディーガードなどが付きます。日本なら天皇陛下がどこかを回れると同様です。そのように一番偉いというようなお方が一番弱いように、危ないので守護されます。独りで出歩くのは危険とみなされます。それで事前にスケジュールに沿って数ヶ月前からルートなども調べて警備に当たります。もちろん当時間帯は車なども制限されたりします。
暗殺などなくても独り行動などとても出来ないのが一番強い方の立場であり、本当は一番弱いといえるのです。
心は実は弱い存在である
人の立場で置き換えてみると、この一番偉い主人が「心」です。我々を管理する王様、大統領が心といえます。この心がまた逆に強いようで一番弱さを持っています。これを守護しないと人の心は壊れてしまうのです。
人間は体を守ることのほうが容易く、心をまもることの方が難しいのです。
無知なる人類の心
人の心が弱いのは、心の無知、無明が原因であり、そのために心が全く善で美しく生きれる人がいないからです。人は心の病人のようであり、堕落しています。欲が湧くとそれを実行しようとします。パソコンが欲しいとの心の思いが湧くと、電化店にい行こうとするでしょう。ある好物を食べたいと思えばそれが食べられる食堂さがして行くことでしょう。
このように心が何か「欲しい」と思えば、ほかのものは見えなくなり、それを欲する様にばかり行動するのです。なぜそれが欲しいのか自問してもそれは分からず、ただその思いを実現せずにはおられないのです。
つまりは心は無知であり欲したら「それをつかめ」と命令するだけの主人であり主体的存在といえるのです。
心は子供と同じ
これは子供と同じともいえます。子供は欲しいものを見つけると一目散にそれを目指しつかもうとします。無知な幼児ですと危ない火鉢などつかみ、ケガや火傷なども負いかねません。ただ子供には理屈なくただ「欲しい」という事だけなのです。
生活苦で行き詰った人が、「金が欲しい」となったら強盗や殺人まで犯してしまうのも、この心が「欲しい」という「欲心」が引き金となって事件になったりします。
しかしそれを望んで欲を充たしても幸福な心に成れるのかといえば、結論は逆であり、不幸を招きます。結論的に人が欲しいものだけを追いかけて幸福になれることはありません。
なぜかと考えると、自身の持つ心が、欲に囚われて心の目が曇り、目先が見えなくなっているからです。
体を虐げる心
例えば、体がおなかもあまり空いていないのに、要求もないのにあるものを口に入れたりすることがありませんか? また食材をえらぶときに、自分が好きだからと思い、同じような偏った食材で、料理して食べたりしたらどうなるでしょうか。おそらく偏食で病気になることでしょう。
こういう食べ方をして健康を維持できるかと言えば、適切な栄養を取らないと病気になりやすい体質になることでしょう。大切な事は体が要求する栄養物を与えて食べる事です。病気の元も、たどれば生活習慣からくる食生活であり、その原因が精神的な心にあると言えるのです。
人間の欲に合わせて食べてばかりいたら健康を保てません。形を美しくとか、早く作れ、とか大量につくるなど、人間の欲心を中心にこういうことが世の中で平気で行なわれています。そのために自然破壊も起こります。要は人間の生命に必要な物を摂取してこそ健康は維持できるのです。
大人だから心も大人とは言えない
「子供があれが欲しい」「あれが好き」と思えばそれを即満たそうとします。人が大人になったからと言ってこの「欲しい、好きだ」という心の思いは消えるものではなく、それ自体はまったく変らずに成長しているのです。いわば子供のように維持したままでいるのです。人間は結局は死ぬまで「これが欲しい」「あれが好きだ」で終わるのです。そしてそれを適える事だけを考えて、他のことには見向きもせずに、理屈や合理性もなくそれを追い求めようとするのです。
ですが、そこで欲を満たしたら幸福なのか? 選択した方法が正しい道であるかを考えてはいない人が大半なのです。
逆に早く欲を満たしたいと言う事から、早道を探して得ようとします。例えば、お金が欲しい思えば、手っ取り早いのが盗みです。自己中心でエゴの塊から来る欲心は、己の心に逆らえずに悪なる方向を取ってまでも欲をかなえようとする人まで生み出すのです。
もう一つの心の一面
人の心は欲望が果たされないと分かると、反対方向へ向います。人は常時何かの希望や目的にそって生きようとします。ところが、それが成就されないことは人生でも必ず何かしら起こるものです。そのときに己が心は打撃を受けて、破壊的方向に走ろうとします。達成できないものは壊そうとするのです。それがどんなに危険な方向である事はお分かりかと思います。
恋愛などで、一方的に好きな子がいて、受け入れられなかったときなどになると、相手の人を殺すなどといった事件はよくニュースなどでも出ることです。
いつも優しいと言った人が豹変して何をするか分からないのです。人の心にはそのような内面に隠れた陰的なものも持っています。
心は無知な悪の主管者
人生という人が生きることは、「欲を満たそう」「得られないものは壊そう」のどちらかに動きます。
普通、一般に壊そうと現れた心のときに、『あの人は精神的におかしい』というのです。ですがそのような人だけではなく、欲に支配されている人全員が実は「問題児」と言えるということなのです。
もし国を任せる首相に精神な病気持ちの人などを選んだとしたら大変でしょう。国が危険なことが起こりかねません。
この事を自身に置き換えたら、あなた自身が「自分の心」という悪の主体者に任せているのも同じと言う立場になっているということなのです。その心に振り回されるように生きていることを自覚する必要はありませんか。
このように人は心の病人のようなものなのです。
先ほど、自分の望みがかなわないと分かれば、破壊的方向へ行動するとありました。皆さんも欲望が希望どおりに事が進まない場合に、力ある人ほど怒り、闘います。路上で喧嘩や暴力を振るったり、攻撃したりします。今もイスラム圏では、自分の理想国を作ろうとするイスラエル国の集団などが暴力やテロ行為で破壊や殺戮をしている事件があっています。
世にある犯罪の大半が、目的や欲が満たされない時に破壊的方向へ動くことで引き起こります。
歴史ドラマなどで、裏切って敵の味方につき元の国に敵対するなどといったこともあります。
これら全てが心に涌く目的が達成されない時に起きる反逆の心でありそれが破壊的なものとなって出てくるのです。これが「血気」と言うものです。
この「血気」は戦う心であり破壊的要素を持っています。
破壊行為には力が必要となりますが、この力が不足すると人は、内向的となって家に引きこもるようになる人や、自殺願望を持ったりする人もいます。「うつ」や「精神病」になる人も、その原因は「怒りの力」であり、それが内向的に働いた場合にそうなるのです。その結論的原因が心の「血気」ということであるのです。
サンクチュアリ鑑定士 承世