承世(しょうせい)先生 「愛のメッセージ」
始まり・・・
サンクチュアリ鑑定士の承世と申します。
私の鑑定のウリとテーマは第ーに、占う人の宿命と因縁を鑑定するのと、第二に、愛という言葉の発信です。
特に2番目の愛という言葉をー番大切にしております。
なぜこの愛の言葉を大事にするのかと言いますと、宿命というものは、たしかに予定されてはいますが、しかしそれは変えることも可能なものです。
ただし、根本的にその宿命を変えることのできる鍵がこの愛という言葉にあります。
この愛によって変えることが出来るようになっております。
ですから、皆様も、宿命だからしかたがないと思わないでください。
心の使い方を修正し、愛の心に近づけば運命も変えることはできると思ってください。
それで今回、紹介を兼ねて皆様に、「愛」について知り得るそのー部を「語り」でお伝えしてみたいと思います。
限られた時間内でのメッセージですが、鑑定する時にはこの愛の生き方の助言の言葉が豊富に出てくると思います。
真理に通じた愛で解決できない問題はなく、この真実なる真の愛は必ずやあなたの持つ、多くの人生難問を解決してくれると信じております。
皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
ではメッセージをお聞きください。
愛のメッセージ
1.愛は為に生きること
愛という言葉は、必ずー人で存在するときには現れないでいます。
条件的に、主体と対象の二者間でないと成されないのです。
ですから、相対がいなければ愛は成されないというのが真理です。
そのように愛は、ー人で成し遂げることはできませんし、いくら優れていても、ー人では成し遂げることができないと言えます。
これは、主体がいれば対象との関係において設定されるものですから、相対的条件は絶対的に必要なものであり不可欠なものです。
また、愛は、どこから出て来るのかと言うと、私から出てくるのではなく、対象から出て来るようになっています。対象が現れてこそ、その相対になるものを好む心が自動的に発動して、「好き」という愛の思いが湧き出てくるようになっています。
ですから、相対に対して私が頭を下げて、その対象のために生きなければならないということから「為に生きよ」という天理がここから生まれて来るようになったのです。
極めて高貴な愛が、為に生きることで私を訪ねてくるようになりますが、それを受けようとするので、「ため」に生きるべきだというのです。
「ために生きる哲学」を実践して行ってこそ、愛を受けることができます。
つまり愛というものは、自分を中心とするようになっておりません。
愛は、私から始まるのではなく、相対を通して成されるようになっているということが結論なのです。
そういう理由から、愛という言葉は、ー人についていう言葉ではありません。
希望という言葉も、ー人についていう言葉ではありません。生命も、一人独断的に出てくるものではなく、連結された両者間の立場を中心としてこそ出てきます。
つまり愛は、相対からもたらされて現れてきます。
相対の「顔が醜くい」とか、「嫌い」だとか思えば愛も後退して行きますし、その反対に、相対が「美しい!」、「良いな?!」と感じることができれば、愛の作用もそれに比重して早くなります。相対の「言葉、美しさ、におい、味等」、相手の条件要素によって愛の作用が決定するようになります。
愛の本質というのは、「ため」に生きようとする時には、大きくなりますが、自分のために生きようという時は、だんだん小さくなって行きます。
愛は、与えれば与えるほど内心から生じてきますし、終わりが尽きません。
それどころか、さらに加重してきて、与え得る余裕が生じるくらいです。
形あるこの世のものは、みな終わります。諸行無常という言葉のとおり、お金も終わるものであり、知識も終わるものであり、権力も終わるものです。形ある物質世界の存在はすべて変化と終わりがあります。
更に、世の中の万事、あらゆる人間の事情、人情を通したものはみな終わりますが、永遠の真の愛は、いくら与えても終わりが尽きません。さらに無限に近い内容が永続的に継続されるという驚くべき内容を持っています。
私が生きて動くこと、活動することは、意味をもって成しています、そして目的を持つて生きていますが、その目的となるものは何なのでしょうか。
答えは、愛の世界を具現するという事です。
人間は、愛の具現のために、愛を成さなければならないという目的によって存在しているのをご存知でしょうか。
人間の生の目的は、「真の愛」の具現のためであり、人間の存在価値もこの真の愛によって決定されます。
愛ある人は誰でもが好むようになりますし好かれるでしょう。
また尊敬を受けることも出来るでしょう。