承世(しょうせい)先生 「愛のメッセージ」2

2.愛は犠牲をともなう

生命いのちを求めて愛を犠牲にするという人と、愛を求めて生命を犠牲にするという人のうち、どちらがより中心と考えますか。どちらがより真の愛の人に近いと言えるのでしょうか。
それは、愛を求めて生命いのちを犠牲にすることの方がより中心となりますし、まことに近いということが言えます。
生命いのちを求めて愛を犠牲にするのは自分中心ですが、愛を求めて生命いのちを捧げるのは、自分中心ではないと言えるからです。

3.愛は円形運動の作用もと

宇宙は、丸い形をしています。太陽も、丸い形をしていますね。
万象すべての丸いものは、何を中心としているのでしょうか。
自分ー人で丸くなることができると考えますか?
(それはできません。)
誰かを中心として関係を結ばなければ、丸くなることができません。このような関係圏を集約させるーつの物体、ーつの存在物として登場する世界は、円形圏を基盤としています。ここで、この円形をつくるものが何かと言えば、その調和の母体となるものが、実は愛の作用だというのです。
この愛こそが宇宙全ての円形作用の元となって森羅万象が運動していると言うのです。

4.平等も愛抜きにはありえず

平等という言葉は、愛を抜いてしまうと本物の平等になることはできません。

愛を中心として「ため」に尽くして生きる時に、まことの平等が成されるのです。
愛を所有してこそ、男性と女性が平等で対等になることができますし、愛をもてば、息子が大統領の立場にいても、その息子と母親は、対等になれるというのです。愛をもったすべての両者間にあるものは、この愛ゆえに平等になれるのであります。

5.自然界の愛

繁殖するすべての存在は、必ず対が連合して繁殖しますが、繁殖の調和を起こすその内容が愛となるのです。自然界におけるすべての存在物の繁殖は、みなそうなっています。
花の中に入っている蜂たちは、藍を吸おうとおしりを上にもち上げ、頭を埋めて吸付いています。それをピンセット引っ張ってもなかなか離れようとしません。強く引っ張っておしりが外れても離れないのです。その味がどんなに良くて、そうするのでしょうか。蜜の味がそうならば、愛の味は、どうでしょうか。愛の味と蜜の味では、どちらがより良いですか。
「愛の味」が最高に良いのです。
ですから人も愛を好んで、求めようとするのです〟

6.和は愛から

愛を通さなければ、すべてを一つにすることができません。二つを一つにするには、言葉をもってはできないのです。二人が一つになるためには、何がなければならないのでしょうか。物質をもって一つになったならば、物質がなくなれば逃げていくのです。お金という物質で一つになったとするなら、その金がなくなれば解散です。
二人が一つになるためには、そして永遠に一つになるためには、何がなければならないのでしょうか。
それは愛がなければならないという結論になります。

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